音楽を伝えるということ

安達です。
今日は、コンサート会場に勤めていた独身時代から、あれこれ考えていたことの一つについて、書いてみようと思います。

まず、演奏するというのは、どういうことか?
演奏とは、“人に音楽を伝えること”。
そして、演奏とは、何枚もの透明なガラスを透過していく一筋の光のように、聴衆に届くべきものと思っています。
もし、どこかが濁っていたりくすんでいたら、音楽はあるべき姿で届かないのではないか?と思うのです。

つまり、こういうこと。…まず、楽器が整えられ、調律で精度を増す。そして音楽作品が選ばれ、それと向き合う演奏者の感性と技術がある。それに、演奏する環境(空間・響き具合)、最後に聴衆の耳と感性。これらが一枚一枚のガラスであって、このガラス面を真直ぐに通り抜けて、ようやく辿り着いた形が、聴衆が受け取る音楽の姿ということです。

楽器の具合、調律の精度はどうか。
演奏家は、楽器の魅力と作品の良さを、最大限に引き出せているか。
生演奏であるなら、演奏家と聴衆との距離や、空間の響きに問題はないかどうか。
録音であるなら、収録技術、再生環境はどうなのか。
そして、受け手である聴衆の感覚はどうか。
あと一つ、“共感性”というのも大切。これは、全てのガラスを覆っている空気のようなものかも知れません。

クリアすべき条件はいろいろとあって、このガラス面がすべて透明でなければ、在るべき姿で到達しない。
つまり、最高最良の音楽には、そう簡単に成り得ないということです。

しかし。ガラスのどこかに翳りがあったとしても、そこをたちどころに察知して打破する可能性を探り、上手く事を成して、在るべき姿で音楽を届けられる演奏家もいる…。
それは、「カリスマ奏者」とも言われるような、天才的な感覚の持ち主。
巨匠と言われる演奏家には、そういう力があるような気がします。

生演奏ならではかも知れないけど、もしそんな演奏に立ち会えたら、きっと鳥肌ものですよね。。。

サンカヨウ
(サンカヨウという花。まるで透明なガラス細工のようで、繊細な音楽をイメージします)

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